19. つぎの文章を読んで、質問に答えなさい。答えは、1・2・3・4から最もよいものを一つえらびなさい。
「我を忘れる」という表現がある。自分のことを忘れる、というのだから変な感じがするが、考えてみるとなかなかうまい表現だなと思う。映画などを見ていると、知らぬ間に主人公に同一化してしまって、主人公が苦境に立つと、こちらも胸が苦しくなったり、知らぬ間に手を握りしめていて、汗ばんできたりする。
それは別に映画の話であって、自分はいすに座ってそれを見ているのだから、何のことはない、と言えばそれまでだが、そんな観客としての自分のことは忘れてしまっているのだ。
子どもの劇場の仕事をしている人たちと談笑していると、面白いことを聞かせていただいた。最近の子どもたちは、劇を見ていても、それに入り込まずに、なんのかんのと言って、*やじで劇の流れを止めようとする。ピストルを見ると、「あんなのおもちゃだ」と言う。人が死んでも「死ぬまねをしているだけ」と叫ぶ。悲しい場面のときに、妙な冗談を言って笑わせる。要するに、「クライマックスに達してゆくのを、何とかして妨害しようとしている」としか思えない。こうなると劇をする人も非常に演じにくいのは当然である。
主催者の人たちがもっとも驚き悲しくなるのは、そのような子どもたちがやじで騒いで喜んでいた後で、その子の親たちが、「今日は子どもたちがよくノッていましたね。」と喜んでいるのを知ったときであった。この親は「ノル」ということをどう考えているのだろう。子どもたちは騒いで楽しんでいるかのように見える。しかし、実のところは劇の展開に「ノル」のに必死で抵抗しているのだ。「我を忘れる」のが怖いのだ。
(河合駿夫『しあわせ眼鏡』 海鳴社)
*やじ:話を聞いたり劇を見たりしながら、大きな声でからかったりして騒ぐこと